旅の終わりは何かの始まり

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凄く仲の良い、私生活からブログまでいろいろ支えてくれた友人が、仕事の関係で海外へ旅立つ。

そんなこともあり、その友人含む3人でディズニーシーに行ってきた。仕事の関係上自分は早くに帰らなければならかった。「また来れるし、次は恋人作って来れれば良いや」くらいの軽い気持ちで出口を出ようとしたが、自分の横で「帰りたくない」と親にすがり着く子供がいた。その光景を見て心がほっこりしながら、子供の気持ちに共感して昔を懐かしむが、何故かその時の光景がいつもとは違って取れた。そのことについて話そうと思う。

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その友人との関係

その友人は、大学1年からの関係でいろんな場所へ旅をした。台湾や偶然スケジュールが一緒だったタイに加え、ニューヨークまで。行く先々にその友人がいてくれた。それとは反対にたくさんの喧嘩もしてきた。その分良い関係を築いた。今日までの6年間を彼女無しで語れと言われてしまったら、語れることはごく僅かになってしまう。それほど僕にとっての彼女の存在は大きいのだ。

今日までの期間が1つの旅ならば

もし、この6年間が”1つの旅”として考えるならば1つの終わりなのかもしれない。彼女の後ろ髪を引きたくなるが、それは自分のエゴなのだ。自分が大人になること、新しい人と出会うこと。環境が変わることの恐怖から逃げようとすることから生まれるエゴである。まるで、ディズニーシーで帰宅を拒んだ子供のように、1つのイベントが終わることを拒んでいるのだ。今振り返ると、自分も空虚な思いを持ちながら出口に向かって歩いている気がしていた。

空虚と向き合うこと

ディズニーシーで見た子供は「どうにかここに残る言い訳が欲しい。でも、明日は来てしまう。」その現実を親に押し付けられながら、自分の行動に疲れ、最終的に現実を受け入れて家路に着くだろう。そして、疲労と余韻を抱えながら次の日を迎える。

「あぁ、今日から頑張ろう。」きっとそう思うはずだ。

心がからっぽになり虚しいような、でも心がまるで洗い立てのハンカチを纏ったような感覚は嫌いじゃない。何故なら”何かが始まった”からだ。僕はこのことを書いている時点で、この空虚感を楽しみたいと思うようになった。そう、一時的な別れを受け入れることができたのだ。そして、また再会できる日までお互い頑張ることができれば最高だと思えるようになった。

このお互いが離れている期間も1つの旅だと思う。

旅、人間関係、様々なことを教えてくれた友人に感謝の意を表したい。これからの活動に期待しています。

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